Dein(D-in-G)さんの小説

【KNML限定長編:思い出のパレット】面会者


 手足の痺れなど、今までの人生の中にも幾ほどか経験した軽い症状だった。
正座のレベルでしびれたり、ずっと椅子に座っていた中で突然立ち上がった時の麻痺の感覚など、幾度と無いほど経験を積んできたはずだった。

だが――今回は、違う。
ただ、痺れるだけじゃない。 “痛い”のだ。
まるで骨の髄から焼き焦げるようなその痛みは――時間が経つと共に、アドレーヌの体を蝕んでいった。
「アドちん!! アドちん!!」
涙目になりながら、救急車の中で必死に叫んでくれた友の声も痛みと戦う彼女の耳には届く筈も無かった。
プププランド都内の緊急病院に搬送されてから――数時間後。 初めて彼女を蝕んだ病魔の正体を知ったのは、彼女自身でなくその“友人”だった。

 プププランド メガロポリス
近未来的に発展した大都市は政府の主要省庁やリニアが入り混じる空間。 透明の大きな管の中をスムーズに進むように、一台のリニアモーターカーが一つの駅にたどり着く。
 ――プププ中央病院前、中央病院前。 リップルフィールド行きは三番ホームに、宇宙船空港行きにお乗換えの方は一番ホームです――
無機質な女性の声が響き渡る中、荘厳なスーツを纏ったサラリーマンやキャリアウーマンが目的の改札へ向かう中で、一人の少女は物珍しそうにホームへと降り立った。
手には、改札を通るための切符。 小さな花柄のポーチには、大きな地図が筒状に丸まってはみ出ている。
「え、えっとぉ……切符、切符ぅ」
右に左に見比べながら、ようやくたどり着いた改札口。 他人の邪魔にならないようにと、端っこでポーチから一つの切符を取り出すと、そそくさと彼女は改札口に“それ”を通した。

 ――料金が、足りません――

数秒後、機械的な声が出てきて彼女の行く手を改札口が阻んでしまう。 少女は半ば涙目になりながら、駅員の助けを借りながら“乗り越し整理券”を手に入れるのにまた――10分ほど要する事になる。
最終的に彼女が広大なプラットホーム空間を脱出できた時には既に空の太陽は高く、肌身が焼け焦げそうなほどの灼熱地獄と言う名の空間が待ち受けている。 真っ黒な衣服を普段から好んで着けている彼女を見たら、周囲は余計にその蒸し暑さを感じ取られるファッションセンスに神妙な眼差しを仕向けるであろう。 そんな彼女は地図を広げながら、歩行者天国のど真ん中で何かを探すように目配せを続ける。

「どうかしましたか?」「どこかお探しですか?」の一言でもあれば、気さくに問いかけられるのだが都会の人達は地図を広げながらたじろいでいる少女に向ける興味も一切持たない。 困惑した表情をしている彼女の傍を横切りながら、ただ一人少女は流れる人ごみの中で置いていかれそうなぐらいの背徳感を僅か数分の間に身にしみてしまった。
時々都会の女子学生だろうか。 馬鹿みたいな大きな笑い声が耳に飛んでくる以外、車の音や巨大スクリーンのコマーシャルの音声しか聞こえてこない。 自分の故郷とは全く別物のその居住・自然環境に戸惑いを感じながら、彼女は少しずつ歩行者天国を外れるように――歩道の端によりながら歩き始める。
時々、地図とその光景を見比べながら進んでいくがその巨大ともいえる高層ビル群に彼女の脳内における情報の整理は限界を迎えていた。 このままでは埒が明かないと、彼女は覚悟を決めたように近くにいた一人のキャリアウーマンに声をかける。
「あ、あの……プププ中央病院はどちら……で……」
上手い具合に目の前を通ってきたキャリアウーマンは、彼女に目を向ける様子すら見せずにそそくさと彼女とは反対の方角へと歩き去っていく。 この間、彼女の勇気を振り絞った都会での初めてのコミュニケーションは三秒間で幕を下ろす事になった。


 同時刻 プププ中央病院 小児科病棟 プレイルーム

「しかぁし!! その時に颯爽と現われたのは正義の味方アンパンモン!!」
一つの部屋に一人の入院患者。 多い時には四人程度に分けられている小児科病棟の子供達。
そんな彼らが苦痛とも取れる、点滴や“粉薬の投薬”と言う大きな頂を上り詰めた後は決まって揃いに揃って廊下奥のプレイルームに集合。 それが一つの合言葉や常識と言うものになっていた。
勿論、アドレーヌも看護婦の手を借りて毎日の様に子供達の遊び相手に一役を買っている。 子供達にとっては優しい姉のような彼女はテレビの奥の教育番組のキャラクターの様に気軽に接することができる稀有の存在。 ただ、彼女はキャラクターのように、テレビと言う境界線が無い。 実際に接することができるのだ。
「カッキクッケコ!! やはり現われたなアンパンモン! これでも喰らいやがれこのつぶあんもどきめぇ!!―― かぜきんマンはその腕からインフルエンザの菌を噴出します」
アドレーヌのその手に取っているのは一冊の絵本。 周りには小さな子供達が、のめりこむように彼女の話に耳を傾けていた。
「ハァッハッハ! 正義のヒーローは健康だから菌なんて効かないよ! ――アンパンモンは笑いながらインフルエンザの菌を蹴飛ばして、かぜきんマンに正義のパンチを繰り出します」
「しょーりゅーけーん!!」
子供達がかの拳法の真似事の如く右アッパーを繰り出しながら笑って周りを回っていた。 アドレーヌが持っている絵本には、確かに正義のヒーローが悪役に昇竜拳を喰らわした所で「めでたしめでたし」の一文で綺麗に締めくくられていた。
「こうしてアンパンモンはかぜきんマンを倒して、世界の平和を守ったのでした。
 そして、アンパンモンは再び“ポケモンいらずのポケモンマスター”を目指すべく、旅を続けるのでした。 めでたし、めでたし」
その優しい声がプレイルームに響く中で、子供たちの歓声も小児科病棟内に沸き起こっていた。 騒がしいその声の中で、何人かの医師達が緊張した面持ちでそれを見守るように聞き入っていた。
「おい、誰だ。 あんな不思議いっぱいの絵本を買って来た奴は」
「色々と主人公最強列伝を繰り広げてますし、必殺技自体が子供達にそう馴染みのある物でもないですし、夢自体が全然物語と合致してませんもんねぇ」
「ポケモンいらずのポケモンマスターって、滅茶苦茶矛盾してますよね。 一体あの絵本の作者は何を考えてあの絵本を描いたんですか」
大人の世界と言うものはまさに酷なものである。 人目のつかない所はまだしも病院と言う所で、こう情け容赦の無い突込みが繰り広げられているとは作者も夢にも思わないであろう。
「院長……また、アドレーヌさんが絵本を読み聞かせ始めました。 今度は“オオカミ帝国に反旗を翻す為に、わらの戦艦、木材の戦艦、レンガの戦艦で海に出向く三匹のこぶた”のお話を……」
「一体誰がそんな絵本を買っているんだぁ!!」
院長の叫び声がこだまする中で、プレイルームでは引き続いて子供たちの笑い声と読み聞かせるアドレーヌの声だけが、聞こえてくるのであった。
「昔々ある所に、世界の半分以上を自分のものにしたオオカミ帝国がありました――」
病気の特性の為、彼女自身は絵本を手に取ることはできない。 痺れが全く途切れることの無いその両手で、硬い一冊の絵本を取る事など不可能に等しいが日々変わる様に彼女の膝には一人の小さな子供がちょこんと座っている。 その一人の子供が彼女の指示によってページをめくっては、アドレーヌがそこの文字を呼んで聞かせると言うなんとも不思議な光景が展開されている。
「そして、オオカミの皇帝様は子豚の国に戦いを仕掛けてきました。 オオカミの国はたくさんの兵隊を引き連れて、大きな船をたくさん用意して子豚の国の海岸までやってきました。 さぁ子豚の国は大騒ぎです……」


 同時刻。 アドレーヌが入院している病院前でも、小さな騒ぎが起きていた。 泥まみれになりながら真っ黒な服に身に纏った一人の少女は、泣きじゃくりながら一人の看護婦の手にひかれて病院にやってきた……が、見た限り目立った外傷は無いようである。
「ずびばぜんー」
「い……いえ、とりあえずあの入り口に入って左手側に受付がありますので……」
すでに顔面がふやけている様な少女にたじろぎながらも、看護婦は丁重に道順を教えていた。 通りすがりの目から見れば、ただの迷子を先導しているようにしか見えないが……看護婦に教えられた彼女が選んだ道先は、看護婦の指差した方角とは全くの逆であった。
「違う!! そっちは右! 逆です!!」
慌てて看護婦が突っ込むも否や、既に彼女は看護婦の忠告を聞く暇も無く右側の角を曲がった直後だった。 彼女を追いかけようと後を追うが、角を出た先には既にあの黒服の少女の姿はどこにも居なかった。
「……何、これ? 大魔術?!」
看護婦の突込みが一人虚しく院内に轟く中、精神病棟で一人の少女が涙を拭いながら年配の医者に手をひかれている様子がその数分後に見られる事になる――結局、彼女が目的の場所に辿りつくまでに一時間近くを要する事になった。 そして、そんな彼女の目的の病棟とは――。
「こうして、子豚の国はオオカミ帝国を倒して世界を平和に導いたのでした。 三人の王様は仲良くオオカミさんの肉を取り合って、今日も楽しく暮らしています――めでたし、めでたし」
「……おい、あの絵本の出版元に電話してくれ。 抗議をしたい」
結局アドレーヌが絵本を読み聞かせに終わった頃には医者のどす黒い負のオーラは更に高まっていた。 必死に医者を抑えていた若い助手も流石に抑えきれなくなっていたか、半ば諦め気味に肩を落としてその様子を眺めている。
「抗議なら、いつでも好きなようにしてください……。 今は仕事をしましょうよ、先生」
「無理。 だってあんなお話聞いたらやってられない」
既に子供の我侭の如くに、端的に纏められているその言葉の節々は医者の怒りの量が時折見え隠れしていた。 諦め気味に、若い医師も踵を返して電話をしに行こうと振り返った時に看護婦がこちらにやって来ている。
「……あの、アドレーヌさんに面会をしたいという人が」
「……ああ、分かりました」
看護婦に手を取られてよろめいて彼女は立ち上がる。 不安定ながらも必死に地に足をつけているままで、子供たちの小さな手とタッチしながらプレイルームの敷居を跨いで彼女は顔を上げる。
「……あ」
看護婦に手をひかれながら目の前にいる一人の少女を見て彼女は口を開いた。 そんな、無粋な反応の彼女とは対照的に“面会相手”の少女の口元は、元気な彼女の姿を見たのか安堵の表情を浮かべて呟いた。
「……アドちん!!」
「……ケケ」