Dein(D-in-G)さんの小説

【KNML限定長編:思い出のパレット】最期の始まり


 最期の始まり。 とても呆気無い、大きな砂時計が動き始める瞬間。
たった一度の、その思い過ごしから彼女の人生は狂い始めた。
いや、既に狂っていたのかもしれない。 狂う運命だったのかもしれない。
一体何故彼女がその運命に立たされたのかは――まさに、神のみぞが知るという事だろうか。


「……昨日、変な寝かたしちゃったかなぁ」
水色のパジャマの襟を引っ張りながら、額から垂れる汗をぬぐってアドレーヌは独り言のようにその言葉を呟いた。
真っ白なシングルベッドの上で脱力したかのようにへたれこむ姿勢で座っているまま風を送るように執拗に襟を動かして気を紛らわす。
日にも焼けていない、真っ白な肌が襟の間から垣間見える中で彼女は眠気も覚めていない虚ろな瞳で傍らの時計に目を送る。 短針は――まだ六時を指している。 秒針が静かに音を立てて回る様子を見届けながら大きく伸びると大きく口を開きながらあくびをかみ締める。
ベッドから床に足を踏みしめながら降りていき、ダイニングにでも落ち合おうかと目の前の扉に目を向けて――右足から踏み出そうと身体を動かした瞬間に、なんともいえない痛みが神経細胞を通じて彼女の脳裏に深く突き刺さる。
「――痛ッ!!」
思わず足の力が腑抜けになるその感覚。 何も無い床に前のめりになる形で大胆に倒れた彼女は――まるでヘッドスライディングの要領でそのまま前方の扉に向かって滑っていく。
「あいたぁ……ダッサーい」
思わず苦笑いを浮かべながら……自宅でよかったとコレ幸いに羞恥心を感じながら、ゆっくりと身体をいつも通りに起こすはずだった。
「……ん」
真一文字に口元をかみ締め、一番最初にその違和感を感じ取る。 太ももから、まるで筋肉が伸びきったような……長距離を走破した直後独特の痛みが下半身から現れる。
分からない、原因も何も分からないまま彼女は――無言を貫き通しながら冷めた目つきで彼女自身の足をまじまじと見つめる。 特に腫れている様子も無く、外見的には何が起きているのかは分からない。
何度動かしても、その痛みは衰えることは一切無かった。 暫くベッドにもたれかかる様にして足の筋肉を伸ばして痛みを和らげようとしている最中で、彼女の考えの中で一つの結論に到達する。
「……いつも、外に出てたりするから――足の筋肉がパンパンなのかな」

一人でその結論に至ると――先日見た、人体サイエンスの番組も、身体は休めることも大切と言っていたように思えていたので――彼女は納得の表情を浮かべながら、足を引きずるように寝室を後にする。
とりあえず――と、このまま寝込むわけにもいかなかった。 お腹も減るし、無論手洗いもしないわけにもいかない。 足を引きずりながら、寝室のドアを開けて飛び出した先は、いつもならば数歩歩けば寝室とダイニングの往復が出来る廊下。 それが、まるでトドのように上半身の力だけで到達せねばならぬ状況が――余りに酷に思える。
「うぅ……せめて、攣るんだったらダイニングに到達したときに攣ってよぉ」
起床直後にギブアップ宣言を報告してきた自分の足に喝を入れるように呟きながら、ゆっくりと彼女は廊下をすべるように進み始める。
ここまで自分の家が広いと感じたのは、後にも先にもこの一瞬だけだろう――とりあえず痙攣を抑止するために冷凍庫から幾つかの氷を取り出して患部を冷やす事にした。
その時、起床から既に時間が二十分近く経過していた。 時計を見るや否や、支度をせねばならぬという焦燥感と同時に、全く痛みを引く気配の見せない自分の足に苛立ちも覚えていた。 ――今日の朝食は、何を作ろうか。 フレンチトースト? 目玉焼き? 患部を冷やしている中で、頭の中でメニューを画策していたときに、ふと背後から大きな影が伸びてくる。
「アードちんッ」
「ぬぉおっ!!?」
背後から筒抜けるように耳に飛び込んでくる、ハイテンションなその高い声。 不意打ちとも近く、突然背後から抱き疲れるその衝動に、患部を冷やしている氷もこぼしてしまいそうな位に片身を震わせて、彼女は引きつったような表情で背後に目を向ける。
「……ケ、ケケ」
「おはよう! 今日もお早いね」
彼女の現状とは正反対に、陽気な笑顔を浮かべているその少女は……真っ黒な衣装に身を包んでいる。 グレーのセミロングのヘアーと猫のような耳を生やして彼女――アドの目の前に立っている。
「いつもよりお早起きしたから、アドちんをビックリさせようときたのに……やっぱり起きるのお早いねぇ。 いつも何食って寝てんの?」
「……多分、夜中の二時に寝なかったら普通に起きられると思うけれど」
苦笑いを浮かべながら……ケケの言葉に健気に答えてくるアドレーヌの様子を見て、ケケは思わず首をかしげる。 氷水をまるで患部にでも押し付けているような――太もも辺りに目を向けるとケケの表情は少しながら神妙になる。
「……アレレ? それ、どうしたの?」
「あ……こ、コレね。 ちょっと足がパンパンだから」
冷や汗を浮かべながら、笑いを保って言い放ったその言葉を耳にした瞬間もケケは全く疑う余地もなく彼女の傍に四足立ちで彼女の足元まで歩み寄る。
「……ふぅん、最近寒いからね。 攣ったりしちゃったんだぁ……ダメだよ、いつもみたいにお腹出して下着で寝てたんでしょ?」
「寝てないッ!! それに足とは関係ないじゃんか」
まるで思考統制が入るような、ケケのその言葉の羅列にアドレーヌは必死に声を荒げて反論を繰り出す。 それに負けじと――ケケも少しばかり表情を濁らせて、次のセリフを口走る。
「それじゃあ……全裸だ、それか“寝ている最中に無意識に脱いだ”か」
「違うッ!! ちゃんとパジャマも着てたし、寝相もそこまで酷くないッ」
耳まで赤くしながら、ケケの言葉を貶すように言葉を濁すアドレーヌを――楽しんでいるような笑顔を浮かべながら太もも辺りをケケは人差し指で少しずつ触れていく。
「ン? ここらへんかなぁ? ホレ、ホレどうなのじゃ? 何か反応してしんぜよ」
まるで時代劇の悪代官のような悪態をつきながら、悪戯に太ももを突いて来るケケに、アドレーヌも苦笑いを浮かべながら応答する。 彼女の悪ふざけを分かっているのか、見事に芝居ながら羞恥の表情を浮かべてアドレーヌも彼女の期待に応えようと健気に振舞う。
「ああん、おやめ下さいお代官様ぁ」
「ホレ、ホレ。 良いではないかぁ、減るものではあるまいしィ」
既に異性同士であれば警察官出動レベルになるまで…ケケは執拗にアドレーヌの太ももを弄り始める。 流石にここまで来ると、アドレーヌ自身も黙って入られない。 とっさに彼女の手を押さえつけて近くに落ちていたGペンを拾い上げたと思えば、ペン先を彼女の額の前までゆっくり向ける。
「……刺すよ? 今すぐやめないと」
「うわぁ、無いよォ。 単なるジョークじゃない」
リンゴのように真っ赤な頬を膨らましながら、一歩と後ろヘ後ずさる。 彼女とアドレーヌの距離が一定まで伸びたのを確認してからアドレーヌは何事も無かったかのようにキッチンに向かい始める。

「……アドちんの意地悪。 私よりペッタンコのくせに」
「――ッ! ケケぇ!?」
その言葉が飛び込んだ瞬間に踵を返すと、アドレーヌは顔面を真っ赤に染めながら怒号を放つ。 正反対に、全く涼しい表情を浮かべているケケも――いつの間にか玄関前までに到達していて、いつでも逃走準備は万全という状態か。
「へぇ、やっぱり気にしてた? だぁいじょうぶ!! リボンちんよりはあったよ、当然だけどぉ」
「そう言う問題じゃない! 一体どこでそんなの確認してるのよッ!」
「……一番最初に『アードちんッ!!』って言いながら抱きついてきた時、あの時にちょっとだけ拝借しましたぁ☆」
あざとい笑みを浮かべながら、まるで柔らかいものを握るようなジェスチャーを両手でしながらケケは彼女の問いかけにあっさりと応える。 が、それに最も憤慨したのは問いかけた本人であった。
「許さない……!! コレでも毎日牛乳飲んでカルシウムは取ってるのよぉ!!」
とっさに立ち上がり、近くに落ちていたこん棒を拾い上げると――何故落ちていたのかという問いかけは愚問――、アドレーヌは勢いよくこん棒を振りかざしケケに狙いを定める。
それを既に熟知してか、踵を返して逃走する事はおろか横にも逃げないケケは既に勝利を確信したような笑みを浮かべている。 この攻撃を既に見切ったという自信の表れだろうか――そんな彼女を見据えていたアドレーヌも、当然の如く思い切りとまではいかないであろうが、叩きつけようと振りかぶった瞬間の事。
「……ア レ?」

こん棒を握り締めていた腕が、急に痺れてきた。 その痛みに思わず握力を緩めた途端にこん棒は前方にゆっくり彼女の目の前に落ちると、アドレーヌはそのまま膝で滑るように床に雪崩れ込む。
「……何やってるの? 新しい戦闘パターン?」
先ほどの立ち位置から全く動いていないケケも、呆れたような表情を浮かべながらアドレーヌの顔を覗きこむ。 まるで余興を楽しんでいるかのような彼女の笑みは――倒れているアドレーヌも、自分と同じように周知の苦笑いを浮かべているだろうと憶測してか、先ほどとは全く別物の柔らかい笑みを浮かべている。
「そこから首根っこ掴んで逃がさない策略かなぁ? アドちんも考える事が幼稚でちゅねぇ……?」
けしかけるような口調を変えないまま、倒れているアドレーヌの表情を見つめた途端にケケの瞳はいっきに開かれる。 自分の耳にも届いてくるような、大きな歯軋りをしながら――アドレーヌは左足を抱え込みながら、苦しそうに表情をゆがめている。 それにも、思わずケケは言葉をなくした。
「……え? ふぇ?! ど、どうしたのさぁアドちん!!」
「ケケ……痛いッ」
痛みを訴えかけるように、アドレーヌはゆっくりその顔をケケに向かってあげる。 それにも、思わずケケが息を飲み込んだ瞬間に、アドレーヌの声が彼女の耳の中に山びこのようにとどろいた。
「……足が、痺れるッ!! 凄く、痛いッ!!」
「……え?! どこか打った? 膝とか、太ももをテーブルの角にぶつけたの!?」
ケケの問いかけにも、アドレーヌは何も応えることができなかった。
角にぶつける――その程度の痛みは、堪えられる自負も持っていた。 そこの痛みではないのだ。
太もも裏の筋肉が、伸びきったような痛みはとうとう限界を超えていた。 彼女は精一杯悲鳴とも取れる、SOSを友人に向かって口走った。
「痛い……痛いッ!!」