Dein(D-in-G)さんの小説

【KNML限定長編:思い出のパレット】プロローグ


 大きな耳鳴りと同時に、彼女はその眠りから引き戻されるように起き上がる。
まるで雷光のような眩しさが瞳の水晶体を襲いこみ、おもむろに少女は起き上がった。 花火のように明るい光に驚嘆し、真っ白な布団を引き剥がすように体を起こした途端に、彼女の脳裏はゆっくりと現実世界に引き戻されるかのように不思議と浮遊感覚に陥った。
突然聞こえてきた耳鳴りと、布団の傍に転がっている小さな積み木――。 傍にはパイン材のイスが綺麗に折り畳まれて壁にかけられて、ハンガー代わりのように上着が放り投げられている形で引っかかっている。
彼女から見て右手には、大きな窓が不用意に全開で外からの風を部屋の中に誘っている。 見ている限り、今にでも金具を引きちぎって宙を飛び回りそうなぐらいにカーテンは猛々しく部屋の中を――まるで鎖に繋がっている動物のように暴れまわっていた。
時折悪戯で風の力が押さえ込まれると、カーテンの動きは鈍ったかと思えばまた大きな音を立てて彼女の頭上を暴れるように動き回る。 突風のおかげで右往左往されているカーテンも、ベッドにいる少女には気も留められず、何度か彼女の顔を横切るように暴れまわっている。
――彼女は、ゆっくりとベッドから立ち上がる。 手すりにもたれかけると、腰をゆっくり下ろして前屈のような体制を整えて群青色のスリッパを手に取った。 素足のまま、それを綺麗に履き揃えると両手を目の前に突き出して、目の前の壁にそのまま前倒れになってよりかかる。 真っ白な壁に両手をかけると、今度は壁伝いに横ばいで歩いていきながら、ガラス戸をゆっくり押し付けながら窓を閉める。 時々、それを拒むかのように突風が吹いたかと思えば、カーテンが彼女の顔を悪戯に被さると何とも言えぬ息苦しさが包み込まれる。 必死に抵抗しながら、もう片方の窓をも閉めて自然の悪戯を拒んだと同時に、安堵の表情を浮かべて彼女は崩れ落ちるようにそのまま床に座り込んだ。


それほど、掃除が行き届いているとは言い難い部屋の床。 黄ばんだシミも視界に飛び込む中で、足を引きずるようにして彼女は腕の力だけでベッドまですがって行く。
「……後、ちょっとッ」
ほんの少しだけ、ちょっとした移動の為だけに既に彼女の体力は限界までに近づいてきていた。 握力は鈍り、体の箇所所々に麻痺のような感覚を覚えながら――パイプベッドの柱に真っ白な肌の手で掴みかかったと同時に、彼女の耳にローラーが転がるような音が響き渡った。
「……ッ!!」
思わず唖然とした表情を浮かべながら、右手方向を振り返る。 真っ白な白衣を着た、いかにもがな医者の風貌が漂うキャピィ族の高齢者。 部屋に入ってきた途端に、時間が停止したかのような重苦しいムードが漂う中――既にベッドに戻ると言う少女の使命は、どこか遠くへ吹き飛んでいただろうか……既に医者が入ってきた事で頭が真っ白になっている少女の気を引くかのように、医者のわざとらしい咳払いが部屋の中に響いた。
「……また、勝手に動いてらしたんですね?」
「……アハ、ハハッ」
えくぼを無理やり引き上げて、作り笑顔を作る少女に呆れるように溜息を吐くと医者と同時に入っていた看護婦が我先にへと飛び込んできて肩を貸すように引き上げる。 何も言わずに、少女は看護婦に為されるがままパイプベッドに返り咲く。 ベッドの上で三角座りの姿勢をとると、少しだけ両足を広げて医者と視線を無理やり向き合わせる。
「色仕掛けをしようと言ったって、無駄ですぞ。 そんな事で許しを得たいんだったら、まずそのスパッツを脱いでからにする事です」
「やだなぁ、そんなつもりじゃないですよ先生」
「黙れ」
笑顔で陽気に応える少女を押し潰すように、医者の言葉は殺気立った重苦しいものだった。 それに思わず声を詰まらすと、少女は三角座りの体制をやめると胡坐を掻いて、医者と相対する。
「……まぁ、その姿勢の方がよっぽど負担がかからないですよ。
 さっきまで何をやっていたんですか?」
「いや、窓が開いていたものでして―― 「だったら、ナースコールでも使ってください。 何の為に病室に一つ置かれていると思ってるんですか」
少女に全く弁明の受け答えをさせないと、医者の口調は拍車がかかってくる。 少しばかり、自分の意見が聞き入れられない現実に不満を持った瞬間に少女は頬を膨らませると同時に、傍に来ていた看護婦が少女の右手を持ち上げると長袖のシャツをそっと捲り上げる。
「……注射の時間です。 それが終わったら、あとはいつも通りに車椅子で院内を歩き回っても、中庭に遊びに行っても構いません」
一日に、三回。 既に日課の一部となった点滴の時間。 彼女は下唇を噛み締めて、右腕を差し出すと大きな針が彼女の肌にゆっくりと差し込まれていく。 腕の中に、薬が確かに入り込んでいく感覚が感じ取られた。 痛みを堪えながら、針が抜かれるまでの間に瞳を強く閉じながら――やがて、綿で消毒を受けた後にガーゼで固定された直後、看護婦から二粒ほどの錠剤と水がそばに置かれる。
「本日の夕食のときの薬です。 いつも仰るとおり、食後三十分以内に飲んでください」
「分かってますよ、もう入院してから何ヶ月もたつんですから――」
まるで愚痴を漏らすかのように、彼女は俯き加減でその言葉を漏らす。 半透明の管から確かに薬が入っているのが――じかに感じられた。 薬品の入った袋を天井付近のフックにかけられて、確認をとった後に医者と看護士は病室を後にする。 目の前の少女は、既に何事も無かったかのように、近くにあった一冊のファッション雑誌を手にとって、徐にページを開いていた。
「……全く。 私や他の先生の忠告をいつも無視してくれるんですから――」
苦笑いを浮かべながら、ゆっくりと扉を閉めると同時に二つの大きな足音が院内に響き渡る。 真っ白な廊下を進んでいく中で、付き添いの看護婦の口が静かに開いた。
「そう言えば、今日は彼女の家の備品の一部がこちらに届く日でしたよね」
「――みたいですね。 私はこれから会議があるので、宜しければ取りに行って貰えませんか?」
「ええ。 勿論」
看護婦の気さくな対応にふと笑みをこぼしながら、医者は自販機の近くまで来たかと思えば財布を取り出して小銭を探り出す。 数枚、コインを投入口に入れたかと思えば百二十ミリリットルサイズのコーラのボタンを、躊躇することなく押した途端に転がり落ちるような音が中から響いてくる。 ピピッと、先程まで投入金額を示していた数字は、四桁ほどにまで増えて悪戯にルーレットのように動き始める。
「コーラを飲んだら、喉が渇きますよ」
「うるさい。 私が好きなんですよ……」
取り出し口からなんら無駄の無い動きで、コーラを取り出すと栓をあけて口に運び出す。 先程から鳴り止まないルーレットの音に、気を取られる様に視線は自販機へ――既に四桁目のルーレットは今にも止まろうかと、ゆっくり回っている。 上三桁は既に“3”で停止。 四つの数字が全て揃えば、おまけとして好きな百二十円の飲み物をゲットできるのだが――数字は、あと少し手前の“2”で止まる。
「さて、休憩も終わりッ。 お先に失礼しますッ」
「ハイ、先生」
見ているほうからすれば、涙目にならないのかというほどにコーラを一気に飲み干すと空き缶を近くのダストに放り込んで白衣を着なおして彼は廊下の奥を突き進んでいく。 それを見届けた直後、看護婦もナースセンターに戻ろうかと、踵を返した途端に先程の自販機が目に飛び込んでくる。
「……私も、お茶ぐらいは買っておこうかなッ♪」
鼻歌を歌いながら、ポケットの小さな財布を取り出そうとした瞬間に金額表示の縁が彼女の視界にふと止まる。 いつもであれば、お金を入れてやっとその投入額が表示されて明るくなるはずなのに、まだ明るい。 先程の、医者のルーレットがまだ生きていたのだ。 そして、そのついでの残りの四桁目の数字は――“3”を指していた。
「……せっかちなんですから」
静かに笑みをこぼして、いくつかほどのランプがついている購入ボタンを彼女は一手に見渡した。 ペットボトルサイズの緑茶も購入可能だと確認した途端に、真っ先に看護婦の人差し指は迷う事無くそこに向かって伸ばされた。


 静かに時計の針が動いていく音だけが、支配する空間。 薬品の量は確かに少なくなってきている。 時間にして後十数分程度だろうか――ベッドの上から、窓から見える外の世界を見る時間も――ひょっとしたら、限られているのかもしれない。 彼女の視線は虚ろに、ただ目の前の外の景色を眺めている。 時々、歩道橋の上を歩いていく、同年代のファッションを見つけるのが至福の瞬間――。 綺麗に着飾った、明るいイメージの服装を見る度に笑みがほつれて羨ましさや憧れが彼女を渦巻いていく。
「……あの白い服、可愛いなぁ」
うっとりと見とれるように、頬杖を掻いてその光景をただ眺める。 いつもと同じ時間帯に、同じ動作。 ただ見守るだけでしか出来ないその状況下。
“自分と同年代の人達は――きっと、恋人や家族と一緒に、外の世界を楽しんでいる事だろう。 だが、自分だけは――”
そう、感傷的に入り浸っているのが心救い。 そうでもしないと、精神的にとてもではないが保てる気がしなかったのだろう。 ただ窓の外を見下ろしていたときに、病室の入り口がゆっくりと開かれる。
「……あっ」
先程、医者と一緒に来ていた看護婦。 優しい笑みを浮かべながら、一つのダンボールを目の前まで運んできている。
「荷物が届いたんですよ。 とりあえず、こちらに置いておきますね」
彼女のベットのすぐ傍らに、ゆっくりと段ボール箱が置かれると看護婦はカッターナイフを取り出してガムテープの目張りを開き始める。 ゆっくりと蓋が開けられるのが確認された後、少女はベットの上から慎重にダンボールの中身を取り出し始める。
赤、青、白――色んな種類の絵の具チューブに、綺麗に整頓と掃除が施されている筆――一つ一つ、大事な思い出が詰まっているであろうそれは確かにどれもこれも新品と見違えるかの様に綺麗だった。 それでも彼女は、懐かしそうに微笑んで一つずつその画材道具を取り出している。
「……絵を描くの。 好きなんですね」
「へ? な、何でそんな事――」
ふと横槍から飛んでくる看護婦の言葉に、少女は思わず声を張り上げる。 それに応えるかのように、悪戯に笑顔を浮かべて看護婦は気さくに言葉を続けた。
「だって、画材道具を取り出しているときのアドちゃんの顔――凄く笑ってたから」
「……そ、そうですか」
耳元まで顔を赤くしながら、画材道具を掴む腕の力が強くなる。 そんな彼女を見て、看護婦も笑みを浮かべながら――やがて彼女の重かった口が切り替わるように開かれる。
「もう、時間が無いですから――。 最期はやっぱり、自分が一番好きだった事で終わりたいんです」
“最期”――その言葉が彼女の口から開かれた時に、病室内の空気は重苦しく静まり返る。 一瞬の出来事、それに呆気を取られた看護婦も思わず言葉を喉元に詰まらせる。
「……知ってたの?」
「はい、先日何人かのお医者さんが話していたのを――耳にしました」
軽く下唇をかみながら――大事そうに画材道具を抱きしめて、小さなおちょぼ口から吐息がこぼれる。 真っ白なベッドの上から、震えるような声で彼女――アドレーヌ本人の口から“最近知った事実”が紡がれた。



「……私、生きていられるの――もう数ヶ月だけなんですよね?」