Dein(D-in-G)さんの小説

【エピソードパズル】魔法の絵筆


 時は今から一世紀以上前にさかのぼる事になる。
世界中の画家達を震撼させる様な一つの伝説の“絵筆”が世界の最果ての大地から一本持ち出され、そのニュースは瞬く間に世界中に駆け巡る事になる。

“魔法の絵筆”――一度振るえば七色の架け橋を虚無の空に作り出し、二度振るえば人々が思わず息を飲み込むほどの桃色の雪を降らせる――まさに“稀有”なその絵筆は世界中の画家や富豪達が喉から手が出るほど欲する代物である。

その希少価値を高める如くに、興味深いニュースが近年再度世界中を轟かせる。 最果ての大地が滅びて、魔法の絵筆は唯一の故郷を失う事になる。
そして――本当に唯一持ち出された絵筆は、事件が起きた数十年の時を経た今も、人々の目に届く事は無かった――一体、誰が持っているのか。 否、一体何処にあるのか、未だ誰も絵筆の行方を知る者はいない。
魔法の絵筆が“最果ての大地”から持ち出されて一世紀――“最果ての大地”が滅びておよそ四半世紀――既に世間を賑わせた報道も風化して、人々はいつもと変わらぬ平穏な日々を……送っている。


そもそも、伝説の絵筆と呼ばれるものは何が“珍しい”のか――それを知る者は、既にこの世には存在しない。 ただ単に見つからない事が珍しいと言う理由なのか――

それとも、もう一つの理由――特別な力や事情が秘められているのか否か――時は過ぎて、誰も気にしないその筆についての話題は単なる空想話で片付けられている
誰も、その真実を知る者はいない。



「……いただきます」
冷たいコンクリートが四方を囲む空間――正面の壁の通気口から太陽の日差しが差し込む空間の中で、壁にもたれながら少女は時を過ごしていた。
目の前に置かれていた一切れのパンに手をかけると、小さなおちょぼ口で彼女はパンを噛み締める。
強く食い縛った瞬間に、互いの歯がこすれ合う様な音がする――余りにも薄いそのパンを食いちぎると、ボロボロと“くず”が零れ落ちて、彼女の膝の上にたまっていく。
ステンレス製の皿になみなみと注がれている牛乳を飲みながら、少女は無言のまま、後ろの壁の通気口に目を向ける。 何事も無いかのように、差し込んでくる日差しは差別する事も無く、彼女のいる“部屋”にも差し込んでくる。

――いや、部屋と呼ぶには余りにもその空間は差障りがあり過ぎだ。 ただ、壁と壁の隙間に挟まっているだけの一枚の板の長椅子と床に散らばった桶と欠けたお茶碗。
目の前には、一つの木製の扉が頑なに彼女と外界を遮断している。 いや、その前に冷たい鉄格子と、何よりも彼女の首にかけられている――犬や猫のような首輪は鉄製のペグのようなもので固定された鎖に繋がっていて、動きがまるで制限されている。
時々立ち上がっては、数歩ほど歩けば首輪は一気に彼女の首を締め上げて行く手を塞いでいく。 引きちぎろうにも、鉄の鎖は新品のように輝きを放ち、彼女の力ではどうする事も出来なかった。


ああ――恨めしい。
まるで世の中が屑の様に思えてきた。 このまま彼女は、誰からも愛情や何もかもを受け取る事が出来ずに一生を終えるのだろうか。
膨らみ始めていた胸は、生々しい傷跡が残されている。 まるで鋭い爪で引っかかれたかのような傷は、見つめる度にうずき出すかのように――その度に彼女は焦燥にかられては髪を掻き毟っていた。
足元には――今まで掻き毟ってきた彼女自身のショートヘアーが散乱している。 一体何回掻き毟って、何本ほど抜け落ちただろう――鏡も何も無い空間。 それを知るにはいささかこの空間は不便すぎた。
最後のパン切れを口の中に放り込むと、座席の端の赤いペンキで塗られた一辺に食器を押し付ける。 暫くをすると、看守がやって来てそこから食器を取り出してくる――いつもの様な段取りで、彼女はその命を少しずつ蝕んできていた。

一体何の理由で自分がこの空間に閉じ込められているのかも――定かではない。 いつ、何処で自分が何をしていたのか――自分の住んでいた町は一体何処にあったんだろう――既にそんな詮索をする精神力も体力も極限までに削り取られて、彼女はまるで抜け殻のように虚ろな瞳で天井を見上げていた。
緑色のシャツは、諸部分の糸がほつれていて虫に食われたかのような小さな穴が開いている。 セミロングのスカートは湿気で既にテカりが目立ち始めていて――白い靴下は綺麗に穴までもが開いている。
天井から壁、床までもが硬いレンガが隙間無く敷き詰められている。 抜け出そうにも何一つ盲点の無い“牢獄”。 目の前に外への扉があるのに、彼女とそれの間に立ちはだかる鉄格子――つくづく恨めしかった。 首輪の下から時々出てくる“じんましん”を堪えながら、少女は昼夜しか知る由も無い空間で日々をこれからも過ごすのだろうか――今日も、明日も――未来もずっと。
「……嫌だ。 そんなの、嫌だッ」
両手で顔を覆いながら、俯きながら彼女は言葉をつむぎだす。 隙間から零れてくる涙が、冷たい石畳の床に落ちて――静かに小さなシミだけを作っていく。
精一杯の抵抗の言葉。 時々零れてきては、神にも悪魔にもすがるような思いで頭の中で願い事を素早く呟いてきた。



外に出たい。 外に出たい。 外に出たい。
牢獄から出たい。 牢獄から出たい。 牢獄から出たい。
助けて神様。 助けて神様。 助けて神様。


 一体何回ほど繰り返し呟いたのかも分からない。 ただ、三回ほど繰り返せば願い事が叶う云々の話を聞いた事があったから。 彼女は精一杯の願いを三回繰り返しながら、毎日祈り続けている。
それは流れ星が出てきたときの過程の話だと、今誰かが話しかけてきても彼女がその事を聞き分けられる精神力を持っているだろうか。
彼女の願い事は、唯一つだった。 外に出たい、冷たい部屋から飛び出して自由になりたい。
無表情の看守に乱暴を振るわれながら、ゴミのような食事の渡され方。 まるで人として扱われない時間の流れ。 そんな世界から、飛び出したい!! 逃げ出したい!!

それさえ叶えば、後は自分の運命などはどうでも良かった。 地獄絵図そのまま描き表したかのようなこの世界以上に、残酷なものは無いと信じ続けて。
いつか誰かが助けに来てくれるかもしれない。 淡い願いを胸の奥にしまいながら――三年の月日は長すぎた。 彼女自身は、その期間さえも覚えてはいない。
先月からいるといわれれば、先月からだと信じるだろうし――一週間前からだと言えば、彼女の意識で一週間ほどの投獄だと信じるだろう。
人が来る事は、殆ど無かった。 一日に一回――酷い時には三日に一回看守が来るか来ないか。
先ほど食べたパン切れのかすが、彼女のスカートの上に溜まっていた。 黙ったままそれを払うと、暗闇の空間で風塵の様に舞い上がるそれを彼女は無言のまま見つめていて――足元の何かに視線が向けられる。
「……筆?」
膝を曲げながら、椅子の上から彼女はゆっくりとその一本の筆を拾い上げる。 いびつな形をしたそれは、手に馴染みが感じられないほどにデコボコしている。
そっと、先端の毛を触れてみると、虹色の絵の具が彼女の掌にべったりと付着する。 注意を凝らしてみると、先端から根っこまで七色の絵の具が毛の中に染みこまされている。 思わず足元を見渡してみたが、案の定絵の具は何処にも無かった。
暫く、その筆をまじまじと彼女は眺めていた。 まるで初めてのものを見つけた赤子のように――しばし時が経つと、彼女は気晴らしにと板の座席に恐る恐る筆を走らせる。
「……基本は……マル」
気晴らしにとリズムよく詩を口ずさみながらいびつな形の円を彼女は描いていく。 殆ど忘れかけていた感触に手は震えながら、麻痺する感覚に歯を食い縛りながら、どんどん彼女は円を描いていく。
首輪で動きを制限されているせいで、絵を描ける場所は限られている。 子供のように、躊躇いも無く描かれていく円は次第に綺麗な丸みを帯びた、完璧な形までに完成する。
「……基本はマル」
まるでとりつかれたかのように、彼女はその一文だけを呟きながら筆を走らせる。 はじめに描いた綺麗な円を基盤にして、右に左に――右下に左下に止まるとも呼べない、腕や足のようなものを描くと最後に彼女はつぶらな瞳と、可愛らしい口を描いた。
「……出来た。 名前は“カービィ”」
カービィ。 そう呼ばれた一つの絵は、水面の波紋のように中央から静かに揺れていくと、不思議な事にその絵と瓜二つの三次元の姿を弾ける様な音と同時に現した。
桃色の姿と、大きな瞳。 大きな赤色の足はしかとその床を踏みしめながら――純粋その物の姿は生みの親である目の前の“彼女”をつぶらな瞳でしかと捉えている。
「……ポ」
たったその一言だけを呟くと、カービィは危なげない足取りでゆっくりと目の前の彼女の元まで駆け寄って来る。 膝元にまで辿りつくと一気に飛び掛り、無邪気な笑みを彼女に見せる。
悪意の無いその笑いを見る者は、可愛らしいと思うことだろう。 人畜無害な風貌を漂わせるその笑みと、小さな愛くるしい体。 単純明快なその身体のつくりで、肌触りは餅の様に柔らかく、スポンジのように弾力性のある“それ”。
「……違う」
無邪気な笑みを浮かべるカービィを見下ろしながら、少女は静かに言葉をつむぐ。 先ほどまでのカービィの穏やかな表情が一気に凍てつくと、彼女は黙ったまま絵筆の反対側で強く押し付けると、カービィは一気に煙に包まれて消え去った。
「……こんなもの、いても何にもならない。 もっと――もっと」

ああ、恨めしい。 恨めしい。 恨めしい。
世の中が憎い、憎い、憎い。
彼女の心の奥底の憎悪は何故か段々と煮えたぎられていく。 まるでストッパーを解除されたかのように、彼女は歯を食い縛りながら――次から次へと絵筆を――壁に、床にと次々に走らせていく――。
まるで何かに取り付かれるかのように、彼女は次々と“カービィ”を生み出して行った。 思いつく限りに身体の色も考えながら――赤色、黄色、緑色――白色に薄茶色に、ルビー、サファイア、エメラルド……。 頭の中で考え付く限りの数の色が、不思議と筆に反映されていく。 黄色よ出て来いと念じれば、先ほどまで緑色だった筆の色は一気に黄色に変わって――
白くなれと、言葉でも呟けば真っ黒だった絵の具は一気に白くなる。 試行錯誤を繰り返しながら、彼女はさまざまな色の“カービィ”を生み出しては消して――生み出して、生み出して――




 とうとう、完成した。
“魔法の絵筆”を手に入れた彼女は、最高の“ソレ”を手に入れた。



 高みの崖から見下ろしながら、少女は無言のままソコを眺めている。
紅く燃え上がる業火に逃げ惑う看守達と、必死の思いで水をその施設にかけながら――まるで虫のように右往左往するその姿に、彼女は静かに笑みを浮かべて、口元を怪しく歪ませる。
ああ、何て滑稽な景色だろう。 先ほどまで自分を閉じ込めていたブタ箱は美しい火に囲まれながら、静かにレクイエムを届けるかのように曇天の空に煙を噴き上げていく。
強まる火の手に怯えながらも、看守達はただ見守るか無意味な作業をするだけ。
ああ、滑稽だ。 愉快だ、痛快。 大きく口を開けて、笑いたい気持ちに渦巻かれていく。
「……あの施設。 いらないよ」
静かに指を指しながら、豆粒ほどの建造物に向って彼女は言葉を紡ぐ。 すると、隣にいた一人の“カービィ”は大きな口を開けて、どす黒い何かを吐き出した。
それは、猛スピードで建造物の前まで飛んでいくと、轟音を立てながらそれを一気に飲み込んでいく。 真っ黒な球体は、留まることなく――看守や建物。 全てを飲み込んでいくと、地面を裂きながらどんどん地殻深くに沈んでいく。
とうとう、最後に残ったのは巨大隕石が落下したかのような大きな穴だった。 底が見えない真っ暗闇は、何処まで続いているのか分からない。
思わずそれを見たとき、彼女の背筋は震え上がった。 興奮だ、自分は人を殺した。 その快感が、彼女の体中に戦慄と言う戦慄を走らせる。
「……やった。 凄い、凄いよ“絵筆”。 私でも……私でも強くなれる」
興奮を隠さぬまま、彼女は絵筆を強く握り締める。 廃墟となったその目の前の風景を黙ったまま見つめながら――彼女はやがて、背を向けて歩き出した。
その後ろに――無感情のまま、顔色一つ変えない“カービィ”が彼女の足元についていく。 それを見つめると、彼女は笑いを含ませながら膝を曲げて彼と殆ど同じ高さまで座り込んだ。
「そうだね……君の名前を、考えないと――」
生気も感じられない瞳に、カービィの姿が映し出される。 無言を貫く彼を見つめながら、少女の口元がゆっくり開かれた。
「……シャドー。 私の友達、シャドー」
少女の言葉に答えるかのように、シャドーと呼ばれた彼は柔らかい笑みをそっと浮かべる。
再び立ち上がりながら、右手に絵筆を握り締めながら少女は前を向いて立ち尽くす。 目の前にそびえたつ山と向き合いながら――少女の腕に握り締められていた大きな絵筆は怪しく光り輝いていた。



 数年ほど時間を要した後、再び“魔法の絵筆”は世間の脚光を一身に浴びる事になる。
ただし、その絵筆はかつてのように虹の架け橋や桃色の雪を世間に見せる事は一切無かった。
世界が絶望の淵にまで陥るのに――それほど、時間は必要なかった。