ちゃせんさんの小説

【短編】こころをこめて


「うーん、うーん……」
 部屋の中に立てたキャンバスと、散乱するデッサンの山。
 そんな足の踏み場もないような所の真ん中で、あたしはパレットと絵筆を手に、ただひたすら唸っている。
 絵がうまく行かない、と言ってしまえばそう。何というか、何かが……足りない。

 今度の作品のテーマは、ずばり『プププランド』。
 この国の風景やそこに暮らす人たちを描いた連作にするつもりだ。
 ここしばらくはあちこち出かけて、山に森に海に、かなりの場所をスケッチした。
 ところがその中からよさそうなものを選んで、いざ絵にしようとしてみたとき、あたしは完全にスランプに陥ってしまった。
 絵自体はふつうに描けるのだけど、何というか、生気がないというか、決定的なものが欠如しているように思えた。

「……一旦止めた方がいいかしら」
 ふぅ、とため息をつく。紙の山を踏みわけ踏みわけ、お湯を沸かしてコーヒーを入れた。
 カーくんが遠出したときに買ってきてくれたお土産のコーヒー豆で、確か虹の島々の、レッドキャニオン産だった。
 ほろ苦さの中に、芳醇な香りが立ち上って、香りだけで満足できそうな、高級なコーヒーだ。
「おいしい……」
 思わず頬が緩む。カーくんも、いいものをお土産にくれたなぁ。

 そうしてしばらく椅子の上でボーっとした後、あたしはうーん、と伸びをして、もう一度キャンバスに向かう。
「……うーん……」
 相変わらずの唸り声。やっぱりさっさっと描いてみても、うまい具合に納得のいく絵にならない。
 こんなに描けなかったことって、あったっけ。
「駄目ね、ちょっと外に出ましょう」
 お気に入りのベレー帽かぶりなおして、あたしは外に出た。
 ……でも、なんとなくスケッチブック一式は持って行ってしまう。何かしらいい題材に出会えるかも、という期待で。
 一旦絵のことを忘れた方がいいのかな、とも思うのだけど。


「うーん、いい風」
 一面に広がる平野を、爽やかな風が吹きわたる。プププランドは、すっかり初夏の色に染まっている。
 ちょっとだけ額に汗がにじむくらいの陽気が、気持ちを晴れやかにしてくれるようだ。
 青々とした草のにおいが心地よくて、あたしは少し気分がよくなった。
 もう一度、いろんな人たちや風景を描いてみよう。そうすれば、足りないものも分かるかもしれないし。


 やっぱり歩きまわると暑くて、少し汗が垂れてくる。ベレー帽を一旦脱ぐと、髪の毛が風にさらされて涼しい。
 ひとまず近くの森や川を回ってみたけれど、特に目新しいものはない。あたしはさっさっとスケッチをすると、また違うところに向けて歩き出す。
 こんなことを何度か繰り返したあと、ふと左の方を見ると、やけに立派なベンチに、滑り台やブランコといった遊具が目に飛び込んできた。
「あぁ、プププ公園……結構遠くまで来たわね」
 なんとなく、この平凡な風景には不釣り合いなほど大きくて豪華な公園。
 ……確か、あれは去年の春先だったかしら。
 デデのだんなが、突然「みんなが遊べる公園を作るのだ!」とか言い出したんだった。
 多分、テレビか雑誌かに影響を受けて始めたんだろうけど、確かに子供たちがよく遊んでるみたいだし、結果的にはよかったみたい。
「ちょっと寄ってみようかな」
 ちょうど人もいないし、きれいな花も咲いてるし、あたしはベンチに腰掛けてみることにした。

 大きな木の陰に据え付けられたベンチの周りには、色とりどりの花が植えられていた。確かこれも、お城の庭師か何かを動員してやらせたっていう話だったかしら。
 甘い香りを嗅ぎながら、ベンチでのんびり。こんな昼下がりも、たまにはいいかもしれない。
「……」
 ぽかぽかとした日差しも手伝って、ちょっとだけ眠くなってきた。少しだけ、目を閉じる。


 ……はっ。
 自分の頭がガクンと揺れた衝撃で、あたしは目を覚ました。
「本格的に寝ちゃってたみたいね……」
 どれだけ時間が経ったのかは分からないけど、日もそんなに傾いてはいないし、意外と短かったのかもしれない。
「さて、と……あら?」
 ふと前を見ると、少し遠くで、誰かが箒を持って何やら動いている。こんな所で、何をしているのだろう。
 ベンチを降りて、早歩きで近づいて行ってみる。

「おや、アドちゃん」
 近づいてくるあたしの気配に気づいたのか、その人――ブルームハッターのおじいさんだった――は、振り返ってぺこりと頭を下げた。
「あら、ブルームハッターさん、こんにちは。何をしているの?」
「このあたりのゴミを掃いておったんじゃよ。といっても、あんまりゴミを捨てる者もおらんのじゃが」
 ブルームハッターさんはそう言ったけれど、その足元の袋を見ると、小さい落ち葉やちょっとしたゴミが割と多く溜まっている。
「いつもこの辺りを掃除してるの?」
「そうじゃな。日曜は店を閉めとるから、大体この辺りを一回りするかのぉ」
 そう言って朗らかに笑う。でも、この辺りをぐるりと、というのは大変そうだし、すごい話だと思う。
「これからゴミを処分するでしょう? 大変だろうから、あたしも手伝うわ」
 ブルームハッターさんは、すまんのう、と言って、ゆっくりと歩き出す。
 袋を抱えると、なんとなくずしりと来る気がした。

「ここがゴミ捨て場じゃな」
 公園の外れの方に、『燃えるの』『燃えないの』『他』という、やる気があるのかないのか分からないような表記の、三種のゴミ箱がある。
 箱自体は頑丈な金属製で、三個しっかり色まで分けてあったが、せめて『燃えるゴミ』とか書いた方がいいんじゃないかとも思う。
「じゃあ、これは燃えないの、ね。こっちが燃えるやつ」
 よいしょ、と気合を入れて、袋を持ち上げる。実際は気合を入れるほど重くもなかったけれど、なんとなく。

「さて、これでオッケーね」
「ありがとう。いつもはわし一人で運ぶもんだから、腰に悪うてな」
 ブルームハッターさんの、相変わらずの笑い声。あんまり無理はしないでね、と思う。
「そうだわ、じゃああたしも、毎週手伝うわ」
 ブルームハッターさんは、あたしの口からそういう言葉が出たのが意外だったのか、少しはっとした表情だ。
「いいのかい? そんなに面白い仕事でもないぞ」
 ううん、と、あたしはかぶりを振る。
「こういうことって素晴らしいと思うし、何よりブルームハッターさん一人じゃ大変だと思うから、少しでも力になりたいの」
「そうかい。それならお願いしようかの。ありがとうな、アドちゃん」
 そう言ってまた、ほ、ほ、ほ、と明るく笑う。こっちまで楽しくなるような、不思議な笑い声だった。

「じゃあ、また来週ね」
「ああ、気をつけておいで」
 ブルームハッターさんと別れると、あたしはもう一度公園のベンチに向かった。スケッチブックを忘れていたことに、今気づいたのだった。
「あれ、アドレーヌ。これ、やっぱりアドレーヌの?」
 ベンチに戻ると、そこにはマキシムトマトをむしゃむしゃと食べているカーくんの姿があった。
「あらカーくん。ええ、それはあたしのよ」
 はい、とスケッチブックを渡されて、もう一度ベンチに腰掛ける。カーくんはいつも通りの幸せいっぱいな表情で、マキシムトマトにむしゃぶりついている。
 なんだか絵にしたら面白そう。ふと、そんな考えが頭をよぎった。
「カーくん、ちょっとだけ、トマトを持ってじっとしといてくれない?」
「えっ、でももう少しなのに……」
 怪訝そうな顔をして不満を述べるカーくんに何とか頼み込んで、あたしはスケッチブックを開く。
 さらさらと、いつものように鉛筆を走らせる。しばらくすると、スケッチブックの中には、トマトを持った幸せそうなカーくんの姿があった。
「はい、ありがとう。もういいわ」
 あたしがそれを言い終わるか終わらないかのうちに、カーくんは最後の一片をぱくりと食べてしまう。
「むしゃむしゃ……やっぱりおいしいね、マキシムトマト。やっぱり野菜はヨーグルトヤード産のがいちばん」
 カーくんは本当に毎日幸せそうだ。見ているこっちまで幸せにしてくれる。

「さて、何か描こうかしら……」
 スケッチブックを開く。この公園もなかなかいい風景だから、ちょっと描いてみようかな。
「アドレーヌ、相変わらず絵がうまいよねー。今度は何描くの?」
 カーくんが、横からひょいと顔を出してスケッチブックを覗き込んでくる。
「今度はね、ずばり『プププランド』っていうテーマで描こうかと思ってるの」
 プププランド。あたしの言葉を、カーくんが反芻する。
「この国のきれいな風景とか、住んでる人たちとか。そういうのをテーマに何枚か描こうと思ってるんだけど、ね」
 どうしたの、と、カーくんが、少し心配そうな表情になる。
「なんだかね。あと一つ、何か決定的なものが足りない気がするの。絵は描けるんだけど、どうしても納得のいく出来にならないっていうか」
 カーくんも、うーん……と考え込む。一体何なんだろう。
「まぁ、ひとまずこの公園を描いてみて、また考えるわね」
 明るく笑って、あたしはスケッチブックと向き合う。すると、カーくんがおもむろに呟いた。
「気持ち、とか」
「気持ち? 気持ちって、どういうこと?」
 カーくんは、ぼくでも完全には分からないけど、と前置きをした上で、話し出した。
「さっき、アドレーヌがぼくを描いてくれたでしょ? 自分で言うのもなんだけど、あのスケッチさ、カービィは幸せだよ! って、絵からそういう気持ちが滲み出てた気がして」
 確かに、さっきの絵は。”幸せな絵”と呼べたかもしれない。
「もしかして、アドレーヌはそれが足りないって思ってるんじゃないかなぁ、って」
 気持ち……確かにそうかもしれなかった。あたしが今まで描いた風景はきれいだったし、見た目は申し分なかったけど、そこに生き生きとした気持ちを入れるのは難しかったかもしれない。
 躍動感や、自然の生きた美しさとか。
「確かに、そうね。そういえばこの公園も、気持ちが詰まってるわ」
 作られた時には、動機はどうあれ、デデのだんなが国民のためを思う気持ち。そして今は、使う人たちの幸せだったり、ブルームハッターさんのように、ここをきれいにしておこうという人の優しさだったり。
 それぞれの場所にも、いろんな人の思い……気持ちが、蓄積しているんだ。
 そう思うと、霧が晴れていくようだった。
「ありがとうカーくん。なんとなくだけど、答えを見つけられたような気がする」
「そう? ぼく自身、よくわからないままに言ったんだけどね」
 そう言って苦笑するカーくん。でも、カーくんの言ったことが、あたしの悩みに対する答えだったことは間違いなさそうだ。

「……さあ、描くわよ」
 公園は、さっき見たときよりも色鮮やかに、輝いて見えた。
 あたしは鉛筆を走らせながら、この公園にあふれる幸せや優しさを表現できるような絵が描けると、心のどこかで確信していた。
 あたし自身の気持ちが、鉛筆に乗って、スケッチブックに刻まれていく。思えば、絵を描く時の情熱だって、絵の中に入り込む気持ちに他ならないんだ。
 いわば、心の絵筆で描く、ということ。
 多分、今までの中で一番の傑作になるに違いない絵。
 ――きっと、描き上げてみせる。
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