ちゃせんさんの小説

【The Darkness Thunder】第一章 1.鈴の音


The Darkness Thunder

第一章 1.鈴の音


 朝の日差しが、深い緑の草原を照らしている。アーカンの白く輝く建物が、ひときわ映えていた。夏の朝の涼やかな風が木々を揺らし、優しくリシンの頬を撫でた。
「んー、いい気持ち」
 ステラは杖を片手に大きく伸びをした。朝日の眩しさに目を細めるその表情は、その太陽に負けないほど爽やかな明るさに満ちていた。
「ひとまず、僕の小屋に寄ってもいい? いろいろ持って行くものもあるし……」
 ヴェノームは腰に下げた薬袋をぽんぽんと叩きながら言った。
「そうだね。補充しとかないといけないものもあるから」
 ヴェノームに同意するアルシェの表情は、まるで憑き物が落ちたかのようにさっぱりとしていた。リシンはそんな親友をちらりと見ると、嬉しそうに微笑んだ。

「さて、と」
 モールスの町並みが視界を通り過ぎ、後ろの方へ去った頃、リシンがこほん、と咳払いをした。
「せっかくヴェノームの小屋に寄るんなら、そこで休憩がてら話を整理しとくのもいいんじゃないか?」
「ん、そうだね。そろそろ暑くなってきそうだし、一旦お茶でも飲みたいね」
「私も。追いかけるんなら、無駄足は踏みたくないものね」
 アルシェは槍を、ステラは杖を、それぞれぎゅうと握り、頷いた。
 そう言いながら歩いていると、眼前にはオーマ霊山が迫っていた。途端に、少し重たかった夏の空気が、荘厳さを帯びて冷えたかのように、四人には感じられた。

「ささ、ここが僕の家だよ、ステラ。ちょっと狭いけど」
 木々が茂る森の入り口で、黒く湿った土を踏みしめながら、四人はヴェノームの小屋に入る。
 薬草の独特な臭いが充満する中、ヴェノームが手際よく準備した茶をすすりながら、四人はテーブルに着いて向かい合った。

「……で、俺は確かに聞いたんだ。あいつらが立ち去り際に”ミリオッド”って言うのを」
 例の男達を追いかけるにしても、まずはどこへ行くのかを決めねばならない。そんな話の中で、リシンは少し強い口調で言った。
「本当に? 本当にミリオッドって言ったの?」
 ヴェノームとアルシェとステラ、三人ともが、心なしかリシンにじりじりと近づいているようだった。その表情はそれぞれが堅く、圧力があった。
「本当だ」
 短い言葉だったが、リシンの表情は三人の声にもいささかも揺るがず、まっすぐと通っている。それが、何よりの答えだった。
「……リシンの耳に間違いはないだろうね。じゃあ、北を目指すことにしよう」
 でも、と、ステラが腑に落ちないという顔で声を上げる。
「どうしてミリオッドなのかしら。あそこはシャイニング大陸の中でも、一番神界に近いと言われてる神聖な場所よ。それに、高名な呪術師の先生もいたはずだし……」
「もしかしたら、何かその神聖な力を悪用しようとしてるのかも。そうなる前に止めないと」
 全員が、しっかりと頷いた。
「奴らがどうしてミリオッドに行くのかは、この際関係ない。あいつらがそこにいる、それだけで十分だ」
 リシンは、どこか自分に語りかけているようにして言いながら、もう一度仲間たちに向けてしっかりと頷いてみせた。

「えっと、オーマヨモギと、たんぽぽと……」
 ヴェノームは、家の前で何度も腰に下げた薬袋をまさぐりながら、ぶつぶつと植物名を繰り返している。
 ヴェノームが袋に手を入れごそごそと漁るたびに、かちゃかちゃと硬質な音がしている。
「おーい、行くぞー」
 それから少し離れた場所で、三人が苦笑いを浮かべて立っている。
 ヴェノームはそんな声が聞こえているのかいないのか、上の空で返事らしき音を発しながらも、同じような作業を繰り返す。

 四人が北へ向けて歩き出したのは、太陽がほんの少し高くなった後のことだった。

 ブルー・ヴァレイは、リシンとアルシェが南へ抜けた時と全く同じように美しく輝いていた。
 初めて二人が黒装束の男達と相まみえた吊り橋も、谷を吹き抜ける強い風に吹かれ、ぎりぎりと音を立てながらも、王者の風格を漂わせるようにゆっくりと左右に揺れていた。
 アルシェは、吹き渡る風が立てる甲高い音の反響と、吊り橋の高さ、そして何よりあの戦いの記憶が鮮明に蘇り、額に脂汗を浮かべていた。
「おいおい、アルシェ大丈夫か?」
 リシンは苦笑しつつも、こわばる友人の体をそっと支えてやる。アルシェはか細い声で礼を述べると、一歩一歩確かめるようにしながら、吊り橋を渡りきった。

「ふー」
 谷を渡りきったと同時に、アルシェは大きく息を吐いてへたり込んでしまった。そんな姿に、リシンやヴェノームは苦笑し、ステラはあきれ顔である。
「あんた、小さいときから変わらないわね−。このくらい男だったら目をつぶって駆け抜けるくらいできなくてどうすんのよ」
 多少厳しい口調でまくし立てるステラに、アルシェは抗議の目線を送るものの、上手く息が整わないのか、言葉にはならない。
「これから先、そんなことじゃいけないわよ。もっと強くならなきゃ」
 それは分かってるけど、と、アルシェは顔一杯で表現するが、ステラはそんな従兄弟の様子に、やれやれ、という風にかぶりを振るだけだった。
 リシンとヴェノームは、そんな二人の様子を見て、顔を見合わせて微笑んだのであった。

 先ほどまでの草原とは打って変わって、背が低く、色のくすんだ草が斑状に生え、赤茶けた土がむき出しになっている荒野が、ブルー・ヴァレイの北側には広がっている。 
 そんな荒野の西には、背の高い山々――シャイニング大陸の西部に広がる、サリヴァニア山脈――が威圧感を放ちながらそびえている。
 そのサリヴァニア山脈の山々に三方を囲まれた場所に、ルーグの街はある。
 荒野へと通じる東の入り口には、妖魔の進入を防ぐための堅牢な門が建てられており、この街の存在そのものを物語っているかのようだった。
「久しぶりに来たけど、やっぱりあの門は迫力があるねー」
 門の下で、ヴェノームが体全体をのけぞらせて見上げている。その横で、ステラも息を呑んでいた。
「山の妖魔と戦うために自警団を結成するような街だからね、こういう守りの技術もあるんだ」
 生粋のルーグっ子であるアルシェは、谷の時とは打って変わって雄弁になった。
 門番に挨拶をして街に入った後も、しばらくアルシェは自警団や妖魔について熱く語り続けていた。

「さて」
 街のほぼ中央、円形の広場で立ち止まると、リシンは切り出した。
「ひとまずここである程度の旅支度を進めようと思うんだ。俺とアルシェは自分の家で必要なものを揃えてくるから、二人とも、そのあたりで食料なんか調達してきてくれ」
 わかった、という短い返事を聞くと、リシンとアルシェはそれぞれの家へ歩き出した。
 ヴェノームは、ステラを引き連れ、広場の周辺の店へと入っていった。

「うっわー、武器が安いわね。アーカンなんか、これより五十は高いわ」
 武器屋の店頭に無造作に並べられた大量の武器と、その値札を見て、ステラは面食らっていた。
「アルシェも言ってたけど、自警団を組織するような街だし、なにより山からとれる鉱産資源が豊富だからね。武器の自己生産ってところかな」
 ふうん、と、ステラは興味深そうに品物を眺めている。
 案外、商人の才覚もあるんじゃない、と、ヴェノームは密かに思っていた。
 その後回った雑貨店などで買い物をしている最中も、ステラは真剣に値段と格闘していた。
 割とおおざっぱに商品を選ぶ方のヴェノームは、ステラの頭の中でそろばんがぱちぱちと音を立てているように感じながら、素直に荷物持ちを引き受けていた。

 その一方で、アルシェは自宅に戻り、槍の手入れをする道具を始め、雑多なものを鞄に詰め込んでいた。
 住み慣れた家の隅々を見渡し、埃っぽい空気を鼻から思い切り吸い込む。
 これから旅に出るんだ、という高揚感を感じつつも、アルシェは同時に、今まで十三年を過ごしたこの家、そして家族への想いも感じていた。
 荷物を詰め終わった後も、暫く床に座ってじっとしている。幾ばくか後、アルシェは一人静かに頷いて、立ち上がった。
「……行ってきます」
 誰もいない家に向かってそう言い残すと、アルシェはそっとドアを閉め、広場へと歩き出した。

 リシンもまた、民家の二階に間借りしている一人住まいの部屋で、古いノートを手にたたずんでいた。
「……」
 そっと、ノートのページをめくる。几帳面にページに記された日付は、ちょうど二年前の春から始まっていた。
「『四月十二日、晴れ……今日からルーグで一人暮らしを始めた。これを機に、日記を付け始めることにする。三日坊主にならなければいいが』」
 リシンは、過去の自分が書いた文を声に出してなぞりながら、どこか遠くを見るような目線で、ノートを見つめていた。
「『二月八日、雪。武術の鍛錬もかねて、便利屋や賊退治を請け負うことにした。今日は初仕事で、東の村まで届け物。まだまだ地道な仕事だ』」
 まだページは続いている。今年の冬のものである。
「『二月一日、快晴。今日は古物市が開かれたので、ふらりと行ってみた。そこで良さそうな矛を見つける。なんだか、運命の相手に出会えた気分だ』」
 ちらりと、荷物の中の矛を見やる。古びてはいるものの、刃はしっかりと磨かれ、光っている。
「『二月三日、曇り。矛から変な光線のような物が出る。どうも魔法の一種らしい。これは強い味方ができた』」
 リシンは、ふぅ、と息をつくと、ぱたりとノートを閉じた。
「……行くか」
 そっと呟くと、ひょいと荷物を持ち上げ、玄関へと向かう。
 一度だけ振り返り、部屋を見ると、リシンは人々のざわめきの中へと飛び込んでいった。

 日が、南の空高く昇っている。相変わらずの熱気に汗を流しながら、四人ともが広場にそろった。
「おっ、戻ってきた」
 ぱんぱんに膨れあがったリュックを背負いながら、ヴェノームはことのほか軽快な足取りだった。
 ステラも同様に重そうな荷物を抱えていたが、そんなことは微塵も感じさせなかった。
「うわぁ、買ったねー」
「なるべく安くて良さそうなのを選んで買ったわ。日持ちのする食材もいくつか買ったから、これでしばらくはしのげるわね」
 ルーグから徒歩で北へ向かう場合、一日のうちに到着できる宿はない。一行は野宿をせざるをえず、そのための準備もする必要があった。
「さて、日の高いうちに出発するかな」
 東にそびえる門を目指して歩き出す。四人の影が、白い舗装の道に、くっきりと浮かび上がっていた。

「さぁ、目指すは北だ。気を引き締めていこうね」
 アルシェはぎゅっと手を握りしめて、仲間達をそれぞれ見ながら言う。
 ええ、ああ、うん。三者それぞれが同じように緊張した面持ちで相づちを打った。
「さて、ミリオッドに向けて、しゅっぱ……」
「アルシェ!」
 号令を掛けようとしたアルシェの声を、中年の女性の声が遮った。
「母さん?」
 声の方には、オリガが立っていた。はあはあと息を荒くしている。
「よかった……間に合ったよ」
「あれ、母さん、父さんが行商から戻るまでしばらくアーカンにいるって……」
「いや、そのつもりだったんだけどねぇ、あんたらに渡すものがあって」
 オリガは、ごそごそと袋をまさぐって、細い紐のついた鈴を四つ、取り出した。それぞれ紐の色が違い、青、橙、緑、赤である。
 受け取ったアルシェの手の中で、鈴は澄んだ音を響かせている。
「これは……」
「オーマ霊山に神殿があるだろ? そこのお守りさ」
 その名を聞いて、アルシェは目を剥いた。
「えっ、でもあそこのお守りって、ものすごく高価なんじゃ……」
 オリガはからからと笑い、アルシェの背中をばん、と叩いた。
「子供がそんなこと気にするもんじゃないよ。これはあたしからの餞別さ。なぁに、あんたらが無事に旅をしてくれるなら、お金なんてどうってこたぁないよ」
「おばさん、ありがとうございます」
 リシンが前に進み出てお辞儀をすると、ヴェノームとステラもそれにならう。
「いいってことさ。それよりも、体にはくれぐれも気をつけるんだよ。父さんには手紙を送って知らせたけど、きっと心配するだろうからね」
「分かりました。おじさんにもよろしく伝えてください」
 もう一度、リシンは深々とお辞儀をする。オリガはほんの少しの寂しさを滲ませながらも、相変わらずの眩しい笑顔だった。

「じゃあ、母さん……僕たち、行くね」
「ああ、行っておいで。絶対に、無事に帰ってくるんだよ」
 うん。アルシェは短く言うと、母の声を背に、北へと続く道を歩き出した。
 他の三人も、それに続いていく。
 オリガは穏やかな顔でその背中を見送り、荒野に吹く荒い風も、今日ばかりは、ということなのか、同じように穏やかにそよいでいた。

 風に身を任せて流れる雲の影が、四人の前を通り過ぎていく。
 穏やかな風に揺れる鈴の音(ね)は、小さいながらも確かな存在感で、荒野に響き渡ってゆく。
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