ちゃせんさんの小説

【The Darkness Thunder】 序章 2.蒼き谷をこえて


The Darkness Thunder

序章 2.蒼き谷をこえて


 夏の日差しが、草木もない荒野を照らしている。
 ブルー・ヴァレイの美しい岩が、西日を反射して輝く。
 空のような色、サファイアのように鮮やかな青、限りなく透明に近い色……。さまざまな色に輝く岩は、見る者の心を癒してくれるに違いなかった。
「はあ……。びっくりしたー」
 アルシェは汗をだらだらと流し、肩で息をしながら、谷から平原へと続く道にへたり込んだ。
「なんでいきなり襲われたんだろ」
「なんか、盗賊とかいう感じじゃあなかったな。しかもあいつら、”十二年越しの獲物”って言ってた」
「十二年……。まさか、お父さんとお母さんの?」
「かもしれない。だとすると、あいつらは殺しのプロだってことになる」
 でも、とアルシェは疑問の声をあげる。
「確かに怖かったけど、僕らでも逃げる機会が得られたくらいだよ? あんまり戦い慣れしてる気はしないけどな」
「まぁ、割と間抜けではあったかな。命が助かっただけでもよかった」
 そう言いながら、リシンは自分の持つ三叉の矛を見つめた。
「その矛、何度見ても不思議だよね。さっきだって、そのおかげで逃げられたようなものだし」
「光とか、雷の魔法、みたいなものかな。たった半年の付き合いだけど、こいつには助けられっぱなしだよ。出会いだって運命的だったし」
 リシンはわが子を慈しむ親に似た目で、愛器をそっと撫でた。
「そうだね。骨董市場で見つけてビビッ!なんて、メロドラマみたい」
 アルシェは友人のいかにも幸せそうな横顔を見て、つられて微笑んだ。

 息を整え、二人はまた南へ向かって歩き出した。緩やかな下り坂は、水色がかった灰色というのか、谷のほうの岩から透明さをなくしたような色をしていた。
 茜色に染まった空に、いくつかの雲が流れていく。夏の夕方特有の重たく水っぽい空気のせいか、二人の足取りはおのずと重くなってゆく。
「つく頃には薄暗くなってるかもね」
 アルシェは薄紫を帯びてきた空を見上げ、少しのため息を漏らしながら言った。リシンは友人を横目に、もう少しさ、と言い、歩を進めていった。

 平原を南に下っていくと、ひときわ目立つ黒い大きな影が姿をあらわした。ごつごつとしたシルエットは、見る者に威圧感を与えている。
 シャイニング三霊山の一つ、オーマ霊山である。山脈に守られることなく突如出現するその姿が、かえって神秘的な雰囲気をかもし出していた。
「見えた見えた。もうすぐヴェノームの家だ」
 疲れきった分、目的地を前にした喜びはひとしおなのか、アルシェが小躍りしながら走り出した。
「おいおい、ちょっと……」
 眉間に軽くしわを寄せながらも、リシンもつられて軽く笑みを浮かべ、友の背中を追って駆け出していた。

「うーん……やっぱり手紙を出した時間がまずかったかなぁ……」
 リシンとアルシェの歩く場所から少し南、オーマ霊山のふもとに、木造の粗末な小屋がひとつ、風にさらされながら建っていた。
 丸太を組み合わせて作った簡素な建物の前には、蓬のように深い緑色をしたカービィ族の少年が、行ったり来たりを繰り返している。
 その頭には、色とりどりの植物の葉を組み合わせたアクセサリーが、風に吹かれて揺れている。歩くたびに同じように揺れる腰の薬袋からは、褐色やどす黒い色の何かがはみ出していた。
「お」
 心配そうに曇っていたその顔が、ふいに晴れた。ほっとしたような笑顔で手を振るその視線の先には、リシンとアルシェの姿があった。
 少年は、おーい、と声を上げながら二人の元へ駆け寄っていく。
「やあ、遅いから心配しちゃったよぉ」
「そう言わないでよ。こっちだってなるだけ急いできたんだもん」
 暑さに歪みきりだったアルシェの顔が綻んだ。その横でリシンも汗を拭きつつ微笑む。
「元気だったか、ヴェノーム……って言っても、たかだか二ヶ月ぶりくらいかな」
 ヴェノーム、と呼ばれたその少年も顔いっぱいに喜びと安堵を表現しながら、息を荒くしている友人たちを小屋へと招いた。

「まあ座ってよ。じゃあ早速ドリンクの準備してくるから」
 ヴェノームはるんるんと鼻歌を交え、スキップ交じりに薄暗い土間へと消えた。
「……まぁた、なんか妙なモノが増えたんじゃないか」
「……あそこにあるやつなんて、赤黒いよ……うわ、シルエットがトカゲだ」
 二人はひそひそと会話するが、不思議とこの小屋の中には大きく響くようだった。
 その視線の先にあるのは、部屋の隅にうず高く積まれた、強烈な色と臭いの物体の山である。一目で薬草と分かるものもあれば、少し見ただけでは何なのか判別がつかないものもある。
 一つ間違いがないのは、それらは全部、ヴェノームの大事な大事な”実験道具”ということだった。
 ヴェノームが消えた土間からは、楽しそうな鼻歌が聞こえ、緑色の湯気とも煙とも分からない気体、そして鼻を突くツーンとした臭いが漂ってきている。
「蓬って、腐ったらこんな臭いしそうだよね」
「……あんまり言わないでくれ。少しでも無の状態で飲みたい……」
 言葉を交わせば交わすほど、二人の顔は曇りを通り越して、五月雨が降り注ぐ。

 しばしの気まずい沈黙の後、ヴェノームはまさに快晴、といった面持ちで、るんるんと鼻歌を歌いながらやってきた。
「いやぁ、作り置きして冷やしとこうかって思ったんだけどさ。やっぱり作りたてをいただくのがおいしいかな、って」
 そう言ってヴェノームが置いたコップには、苔に近い緑色の液体が半分ほど注がれていた。
 材料は何、というフレーズさえも口に出せないまま、二人はその怪しげな液体を凝視するほかなかった。
「このままだとちょっと濃すぎるから」
 ヴェノームはそう言うと水差しからどばどばと水を注ぎ、さらに赤く熟した果実をその場で絞り、果汁を液体の中に落とした。
「さあ出来上がり。どうぞ、お二人さん」
 早く感想を聞かせてよ、と、悪意のないプレッシャーが二人を襲う。二人は互いに目を見合わせて、こくりと頷いた。そして、恐る恐るコップを手に取ると、ぐいと中身を飲み干した。

「……あれ、美味しい」
 凄まじい味を覚悟していただけに、口から滑り出た言葉は平易だった。
 お茶に似た少々の苦味の後に、フルーツのさわやかな香りが口から鼻へと抜け、最後に心地のよい冷たさが体全体を冷ましてくれる。
「これ、自信作なんだ。題して”夏バテにきく、ヴェノームスペシャルX”」
「名前はともかく、確かに夏の暑い日にはいいな。これなかなかいいぞ、ヴェノーム」
「やっぱりそう思う? 自分の舌だけじゃ頼りないから、確認してもらえて嬉しいな」
 ヴェノームは、この中で一番年長ながら、一番無邪気な笑顔を見せていた。
「汗が不思議とひいた気がするね。これ売っても十分通用するよ」
 口々にほめられ、少し照れくさそうにしながら、ヴェノームはもう一度土間に引っ込んだ。まだいくつかあるんだよ、と嬉しそうに言いながら。

「少なくとも、見た目は少し悪いけど、味は保証されてるよね」
「さっきのは良かった。けどあの時みたいにすごい味のが出てくる可能性もゼロじゃない」
「あのとき……あぁ、三年くらい前の冬に出たやつだ」
 思い出話をしながら、二人の顔にはまたしても暗雲立ちこめ、天候はぐずついてきている。
「あれ、見た目は良かったのにね」
 アルシェがいささか遠い目で、リシンというよりはそこらの空気に語りかける調子で話した。
「見た目と味は比例しない、その最たる例だよな。……ヴェノームには驚かされることばっかりだ」
 その後いくばくもしないうちに、ヴェノームがまた怪しげな色をした液体を手にやってきた。複数の瓶が、両手いっぱいに抱えられている。
「これはオーマニンジン、これはドルム草、これは鳥夏草(ちょうかそう)をメインに調合してみたんだ。どれもかなり精力がつくんだよ」
 聞いたことのない植物名の羅列、そしてヴェノームの邪気のない満面の笑みが、余計に二人を圧迫した。恐る恐る瓶を手に取ると、二人はそれぞれ一気に中身を飲み干した。
「…………」
 リシンの口の中に、ねっとりとしたオーマニンジンの果汁が雪崩れ込んでくる。そして普通の人参の風味を更に強烈にしたような臭いが口を通り抜けて鼻へと突き抜けてくる。
 その後、猛烈な苦味が口いっぱいに広がったかと思うと、その後を追って強い酸味が襲いくる。
(ま、まずいぞ……これは……かなり……)
 リシンの眉間に思い切り皺が寄り、もともと青い顔が更に青ざめた。
「これ、ちょっと、味が……強すぎると思うな。もっと木の実とか入れたらいいんじゃ……ないか?」
 途切れ途切れの言葉を聞き、アルシェも大きく頷いた。そんな深刻な雰囲気をよそに、ヴェノームはいたって純粋に、なるほど、と相槌を打ちながら話を聞いている。
「そっか。材料がちょっと臭みが強いからね。分かった。ありがとう」
 悪意のない笑顔を向けられると、二人は途端に何も言えなくなった。このような調子で、十年以上も友人関係が持続しているのであった。

「そうそう。ちょっと真剣な話なんだけど」
 試飲大会が終わると、ヴェノームが淹れたお茶を飲み、クッキーをつまみながら、アルシェが切り出した。
「ここに来る途中……ブルー・ヴァレイのつり橋の辺りで、賊に襲われたんだよ」
 えっ、と小さく声を出し、ヴェノームもきりりと引き締まった表情になる。
「賊って言っても、普通の賊じゃなかったな。……明らかに俺を狙ってたと思う」
 ヴェノームの顔に更に驚きの色が濃くなる。疑問が多すぎて、口をついてでる言葉もないようだった。
「”十二年”って言ったんだよ。そいつらが」
 リシンの声の調子がおのずと低くなり、ヴェノームもアルシェも、何も言わずにただ硬い顔で座っていた。しばらく、風が山の木々を揺らす音だけが空間を駆け巡る。
「十二年……。お父さんとお母さんの事件も……」
 リシンは静かに頷いた。
「……確証は持てないけど、あいつらが……あいつらが、俺の両親を殺したやつらの一味だと思う」
 はっと息を呑む音が二つ。その方向を見渡し、リシンは続ける。
「なんで十二年も俺を見つけることが出来なかったのかは分からないけど……。でも、あいつらの正体を突き止めることが出来れば、父さんと母さんが死ななきゃならなかった理由が分かるはずだ」
「僕もそう思う。けど……」
 アルシェの顔が少し翳った。
「あんまり深追いしすぎると危ないよ。……殺されちゃうかもしれない。さっきは逃げ切れたけど、もっと強いやつらが来たら、ああもいかないんじゃないかな」
「確かにそうだ。けど、顔を覚えられた以上、じっとしてても向こうから来るだろ? じゃあこっちから積極的に動くのがベストだよ」
 アルシェは、うーんとうなると、下を向いて黙り込んでしまった。その顔には葛藤と苦悩が如実に表れている。
 そんな時、ずっと黙っていたヴェノームが声を上げた。
「……もしかしてリシン、一人で追っかけようなんて思ってないよね」
 リシンはぎょっとしたように目を見開いた。
「やっぱり。昔からそうなんだよ。危険なことは一人で全部背負い込む性質なんだもん。もしそいつらを追っかけるんなら、僕も一緒に行くよ」
 その言葉を聞くと、アルシェも一度自分を振るい足せるように頷き、リシンをまっすぐに見つめて言った。
「そうだね。危なくても、向こうからやられる前にこっちから尻尾を掴んでやるんだ。僕も一緒に行く」
「……ありがとう。でも、二人を巻き込むのはあまりにも危険すぎる。やつらの狙いは俺なんだし、やっぱり俺一人が……」
『だめ』
 二人の声が唱和した。見事にタイミングが合ったので、思わず二人の顔がほころんだ。
「だてに十年以上も友達やってないよ。事情だって全部分かってるんだから、こうなったらどこまでも一緒だよ」
 ね、と言って、リシンとヴェノームは顔を見合わせて頷きあった。そんな二人の様子を見て、リシンは深くため息をつくと、静かに、ありがとう、と呟いた。

「じゃ、話がまとまったところで」
 ヴェノームはまた明るい調子を取り戻し、お茶のおかわりをカップに注ぎ始めた。
「今日泊まっていくでしょ? もう暗くなってるしさ」
 見ると、窓の外は真っ暗になっていた。空には満点の星が輝いていて、漆黒のドームを彩っていた。
「ま、最初からそうなるかもと思ってたし、母さんには断ってきたし……あ」
 アルシェは、突然うーんと唸りだした。
「もし、リシンについていくことになったら……母さんにちゃんと説明しないとだめだよね」
「……やっぱり、小母さんが心配するだろう。アルシェを危ない目にあわせるわけには」
「いや、僕がなんとか母さんを説得するよ。リシンは気にしないで」
「そうは言ってもだな……」
 だがアルシェは譲らなかった。こうなると頑固な友人の性分に、リシンもひとまず折れた。
「わかった……でも、ちゃんと説明して、駄目だったら諦めてくれよ。俺だって二人に危ない目を見て欲しくはないから」
「そんなこと言うんだったら、僕らだってリシンが危険な目に遭うのは嫌だよ。こうなったらさ、危ない橋は皆で渡るに越したことはないって」
 ヴェノームはいたって明るくそう言った。横でアルシェも頷いていたが、やはりリシンの顔は曇ったままだった。
 
 そして夜も更け、三人はそれぞれ寝床に着いていた。
 ごろりと寝転がったまま、リシンは天井を見つめている。暗がりの中、湿った空気が体に重くのしかかってくる。
 ふと窓の外に目をやると、つい先ほどまで星が輝いていた空には低く雲が垂れ込め、ぽつぽつと雨が降り始めていた。
 眼帯をしたままの左眼にそっと触れると、リシンは深く、寂しげな溜息をついた。
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