ひでぶさんの小説

赤い鈴


赤い鈴
 彼らは「ヒトガタ」でいるのが好きだった。ヒトガタになっている彼らが、今している
ことも、ヒトが作った「映画」という創作物から取り入れた知識。手をつないで、自分た
ちの影を追いながら、彼らは歩き続ける。
 
「夕陽が真っ赤だよ」
 
 彼の優しい声が鳴る。彼女は彼と一緒にいると、ごく当たり前のことが何故かとても素
晴らしいものに感じることができた。不可思議な感情。彼女も彼も、ヒトの悪意を糧とし
て生きる存在なのだ。本来、彼らの種族はそれ以外に興味を示すことはない。
 
 彼女は「正常」だ。憎悪の撒餌を撒くのも、あるじの意に反するものを葬り去るのも、
問題なくこなしている。だが、隣りを歩く彼はそうじゃなかった。彼はあるじに与えられ
る闇のしもべとしてのさだめを、生まれ出でる時に忘れてきたらしい。彼は自らのすべき
であるはずのことを全く果たせず、むしろ拒んでいた。
 
 おかしなヤツだなと、最初彼女は思った。でも、彼の優しさに、考え方に、仕草に、い
つの間にか彼女は彼から離れられなくなってしまった。
 
 夕陽を眺めても、濁った瞳は輝かない。「映画」に出てきたヒトの瞳はきらきら輝いて
きれいだったが、彼らダークマターがそれを真似ることは不可能だ。だが、彼女は幸せだ
った。彼と同じものを眺めることができたのだから。
 
 りんりりぃん……
 
 小さなその音が鳴ったとき、彼女は闇のものが決して持つことのない温かい微笑みを浮
かべていた。素敵な彼女の笑顔を見て、彼は頬を夕陽と同じ色に染め上げた。
 
 
 
 凍った瞳が彼を睨む。生まれたときぶりの2度目の対峙。あるじは彼に遠き星への遠征
に赴くことを命じた。彼は首を横に振りたかったが、それをするには心が弱すぎた。
 
「……君は僕がいなくても平気ですか?」
 
 あるじに命じられたことを彼女に話す前に、彼はそう問うた。
 
 平気なんかでいられるはずがない。だがあるじの命は絶対だった。めまいを、吐き気を
振り切って、彼女は無理矢理笑顔を造る。「大丈夫だよ」と震える声、手。
 
 彼は約束した。いつも当然のように語った2人の理想を、幸せを、帰ってきたときにき
っと実現させることを。震える手を強く握りしめた。
 
 りんりりぃん……
 
 小さな鈴が、今度は彼女の涙と一緒に鳴った。
 
 
 彼を送る。ヒトの姿をしていない彼は、彼と同じ姿をした他と一緒に整列している。鴉
の色をした彼らはミラクルマターと遠征前の交信をおこなった。彼女にはそれが、まるで
自己を昂ぶらせるための唄を唄っているように聴こえた。右手は空へ左手は海へ捨て、立
派に蒼天仰げよ。一斉に右へならえ。そして彼は飛び立った。
 
 何千との交信を1体で担ったミラクルマターはこちらなど見てはいなかったが、自分た
ちのことで冷たく笑っていることを彼女は確かに感じとった。先日のめまいと吐き気を思
い出す。それでもヒトガタの彼女は奥歯を噛み締めた。約束を信じて……。
 
 
 
 下位の者は決して聞かされるはずのない悲報を聞いたのは、彼が旅立ってしばらくして
からだった。約束した幸せが崩れ去る音を聞いても、彼女は信じない。悲報を告げたもの
を憎んだ。「嘘をつくな!!」 初めて自分と同じ闇のものの命を刈りとる。
 
 からかう彼を追いかけたあの日は消えゆく。それでも、あの日の彼の声はまだはっきり
と覚えている。彼女は諦めない。「ずっと待つんだ! 彼を待つんだ!」
 
 正真正銘の「異常」となった彼女を周囲がさらに追い詰めた。彼女は次第に全てを憎む
ようになっていった。見えない、聞こえない。何もいらない。何もないほうがいい。
 
 ひどく冷たく笑った彼女の姿は蒼白になり、背に真紅の翼を生やした……もうそこには
彼を待つ彼女は存在しなかった。
 
 彼女が最期にその手で揺らした鈴は、そのときもいつもと同じように鳴り響いていた。
 
 
 
 遠征中は一方的にメッセージを残す方法の交信を「受け取ること」のみが許可されてい
た。彼はその「彼女からの手紙」が、ある日を境に途絶えたことに、深い不安を覚える。
だが、それでもあるじは彼が戻ることを許さない。彼はついに反旗する。
 
 
 
 長い月日。強き心を持つ勇者によって、あるじは倒された。彼は勇者と仲間たちに感謝
して、その星を後にした。
 
 故郷へ。
 
 
 
「僕は帰ってきたよ!」
 
 鴉の色の姿のまま彼は叫んだ。故郷の赤い瘴気が彼の声を飲み込む。彼は急いだ。そし
て、溢れ出そうな涙をこらえてそっと扉を開けた。
 
 煌々と不気味な光を放つ赤い羽根が落ちているだけで、彼女はそこにはいない。空白に
なった彼はゆらりとヒトガタの姿になり、壁にかけられた小さな赤い鈴を取って、おもむ
ろに揺らす。ただ、彼女の「時」をのせた鈴の音だけが、あの日と変わらず鳴り響くだけ
だった……。